護国神社について
由緒と御祭神
鹿児島縣護國神社は、幕末期から現在に至るまでに尊い生命を祖国の為に捧げられた本県出身者の御英霊七万七千余柱をお祀りしています。
明治元年、戊辰の役において戦功の大きかった薩摩藩の戦死者の忠魂を永久にお祀りせよとの明治天皇様の思召しにより、朝廷より金五百両を賜り、山之口馬場町に靖献霊社(いさたまれいしゃ)という神社を建立したのが始まりです。このような趣旨に基づいて全国の護国神社に先駆けて建立された当神社は『護國の神、平和繁栄の神』として、多くの方々に親しまれ崇敬されています。
沿革
御創建から、天皇陛下の思召しの篤い当社は、昭和10年、昭和33年、昭和35年、昭和40年、昭和47年、昭和60年、平成7年、平成15年、平成17年、これまで9回も祭祀料等を賜っております。
創建当時より、一貫して、世の為、国の為に命を捧げられた御英霊に寄せられる大御心は、遺族を始め、国民全てへの大御心として、受けとめたいと考えます。
- 明治元年1月
- 明治天皇の思召しにより、藩主島津忠義鹿児島郡山之口馬場町に靖献霊社(いさたまれいしゃ)を建て戊辰の役の戦没者を祀る。
- 明治5年6月
- 明治天皇西国ご巡幸に当たり侍従番長正二位醍醐忠順を勅使(天皇の御使者)として遣わされ金幣を賜る。
- 明治7年
- 官祭社に列せられ翌年鹿児島招魂社となる。
- 昭和10年11月
- 天皇陛下本県ご巡幸に際し祭祀料を賜る。
- 昭和14年4月
- 内務省指定神社となり鹿児島縣護國神社と改称。
- 昭和22年5月
- 社名を薩隅頌徳神社(さつぐうしょうとくじんじゃ)に改称。
- 昭和23年10月
- 戦後中断の工事を再開し10月竣工。
- 昭和23年11月
- 現鎮座地に御遷座。同時に旭桜神社の御祭神殉職警察官消防官を相殿神として奉斎。
- 昭和28年2月
- 社名を鹿児島縣護國神社に復称。
- 昭和33年4月
- 天皇皇后両陛下本県ご巡幸に際し幣饌料を賜る。
- 昭和34年3月
- 靖國神社奉賛会長北白川祥子様(故北白川宮永久王妃殿下)御参拝
- 昭和36年10月
- 神宮祭主北白川房子様(明治天皇第七皇女、北白川宮成久王妃殿下)御参拝。
- 昭和37年5月
- 皇太子同妃両殿下御参拝。
- 昭和40年10月
- 自衛隊殉職者を相殿神として奉斎。
- 昭和43年11月
- 御創建100年記念大祭斎行。
- 昭和47年10月
- 天皇皇后両陛下御親拝。
- 平成5年10月
- 御創建125周年記念奉祝大祭斎行。
- 平成7年8月
- 終戦50年戦没者慰霊祭並に戦没者240万人感謝する集い開催。
- 平成10年11月
- 御創建130周年記念事業参集殿兼社務所新築工事着工。
- 平成11年10月
- 今上陛下御即位10年、御創建130周年御鎮座50年記念大祭斎行。
- 平成16年10月
- 神宮祭主池田厚子様(昭和天皇第三皇女)御参拝。
御祭神柱数
縁ある主な戦役事変と御祭神柱数
- 安政の大獄
- 2柱
- 桜田門の変
- 2柱
- 寺田屋の変
- 15柱
- 禁門(蛤御門)の変
- 7柱
- 生野銀山義挙
- 1柱
- 薩英戦争
- 5柱
- 筑波山義挙
- 1柱
- 三田薩摩藩邸焼討事件
- 42柱
- 戊辰の役
- 631柱
- 佐賀の役
- 14柱
- 台湾の役
- 4柱
- 熊本の変
- 6柱
- 西南の役
- 243柱
- 竹橋事変
- 1柱
- 朝鮮事変
- 4柱
- 朝鮮動乱
- 3柱
- 明治23年事変(北清事変)
- 4柱
- 日清戦争
- 312柱
- 日露戦争
- 1,835柱
- 第一次世界大戦
- 60柱
- 台湾治安維持関係
- 108柱
- 満州事変
- 3,213柱
- 支那事変及び大東亜戦争
- 70,836柱
- 警察官殉職者
- 58柱
- 消防士殉職者
- 94柱
- 自衛官殉職者
- 111柱
総計77,612柱(令和4年1月現在)
アクセス
住所 | 鹿児島市草牟田2丁目60番7号 |
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アクセス方法 | 国道3号線、川内、串木野、伊集院、伊敷方面行きバス、停留所護國神社前より徒歩5分。 高速鹿児島北インターより車で10分。 |
電話番号 | 099-226-7030 |
FAX | 099-227-5592 |